2007/11/3(土)~11/5(月) 笊ヶ岳~転付峠2007年11月03日 00:00

無名山塾の自主山行。リーダーは同人のT口・H氏、メンバーS木・Y氏(女性)、Y永・H氏、自分の4人パーティ。S木氏は完調なら無敵だが、先日じん帯を痛めて左膝にサポーターを装着しての参加。
この方面、自分は単独で赤石岳~荒川三山(2002/9/1~9/4)聖岳~光岳(てかりだけ、2005/8/28~8/31)を歩いている。
予報では土日は降らないまでも曇り、月曜は降るかもという見込みだったが、街に下りるまで好天に恵まれ、絶景を満喫できた。

■11/3(土)
前夜、T口氏自宅近くの市川大野駅に23時過ぎ集合。T口氏の運転で畑薙第一ダム駐車場に5時半頃到着し、7時まで仮眠。

[本日のルート]
畑薙第一ダム駐車場 →(バス)→ 中ノ宿吊橋 → 所(しょ)ノ沢越 → 布引山(テント泊)

東海フォレストの送迎バスは8時の予定だったが予約者が揃って早めに発車した。途中、畑薙大吊橋で停車し、運転のおじさんが「吊り橋を半分くらいまで渡ってきていいよ」。この吊橋は足下が木の板で、下を見るとなかなかスリルがある。高所恐怖症気味のY永氏はちょっと竦んでいた(*1)。紅葉は盛りにはちょっと早いが、湖の向こうの山はなかなかいい具合に色づいている。8:15に中ノ宿吊橋で下車。

手持ちのエアリア(昭文社の山と高原地図、2002年版)では、吊橋から20分ほどの中ノ宿沢橋から布引山まで破線コース、つまり<登山コース(難路)>である。図示されているということは明瞭なルートがあるということで、しかも危険マークもなく、何も問題はないだろうが。
中ノ宿沢橋はエアリアに「橋壊れている」とある通り岸に橋の残骸があるのみだが、増水していない限り容易に渡れる。ここから尾根に取り付き、地味な急登を上がって標高1200m付近の天狗岩で小休止。気温は8℃で歩いていれば寒くなく汗もかかず良い具合だが、止まると少し冷える。以後、休憩ごとに先頭を交代して歩く。足下には大きな団栗がたくさん。壊れた蜂の巣もあった。熊の食事の痕か? もっと低いところには根元近くの樹皮が裂けるように剥がれた樹が何本もあったが、あれも動物(鹿?)の仕業らしい。
ルートは淡々と高度を上げ、1600~1650mあたりで尾根を乗り換える。この辺は踏み跡が少し不明瞭で、樹に付けられたテープを拾いながら行く。後ろから来たS木氏とT口氏は木の上に熊棚らしいのを見つけた。2138ピークの手前でトラバースに入り、北西に向かう尾根を越える場所で休憩。
ここからは全く高度の変わらない長いトラバースで、所の沢と交わる水場に至る。沢が二股になっているので水場も連続してあるが、手前側の沢に下りるところがちょっと悪い。足下が急傾斜でザラザラと崩れる。半ば滑り落ちるつもりなら行けそうだが転ぶと痛いので、T口氏持参の補助ロープを傍らの樹にかけて伝い下りた。ここが今回唯一のロープ使用箇所。所の沢を超えると明日の行程の終わり近くまで水場はないので、ここで各自3L程度を汲む。今回はザックが軽いと思ってきたが、水が入るとずっしりと来る。
所の沢の二股の間のザレ場は足下が崩れそうで、張ってあるトラロープに手を添えて通過。二つ目の水場を過ぎて所ノ沢越の登りに掛かる手前には手頃なテン場があった。傍らに小さな流れがあるので水も汲める。ただ、ゴミが残されていたのは残念。
所ノ沢越には13時半過ぎ。雲海からそそり立つ富士山が美しい。中ノ宿吊橋からここまで、エアリアのコースタイム4h50mのところ、我々は5h20m掛かった。寝不足でテント泊装備を背負い、脚の不調なメンバのいることを考えれば、まあまあだろう。

S木氏を先頭に倒木の多い尾根を上がると、エアリアに「ヤブの中を歩く」とある箇所。事前に調べたWeb上の記録のひとつには、半袖で往復したら腕が傷だらけとあった。2100m付近で平坦になると、なるほど細い枝を掻き分けて進むようでルートも不明瞭だ。布引山の方向に進むか、いやこの位置ではルートはもっと北に向いている、とコンパスを見ながら踏み跡やテープを捜す。今回の山行中、この辺がいちばん面白かった。
途中、北東方面が開けると、山頂手前に大きなガレ場を持った立派な山が見える。
布引山
あれが布引山かと思うが、ずいぶん遠く、高度差もありそうだ。いや、あれは笊ヶ岳で、布引は手前なのではとの声も出る。そろそろ疲れているので、希望的観測も入ってくるのだった。ルートは間違っていないのだからともかく進もう、となる。
で、進んでみると、結構な急登となり、やがて先ほど見えたガレ場。エアリアには「布引大崩れ ガレの縁通行注意」とある。やはりあれが布引だったか。ガレ場を覗くとカモシカが一頭、こちらを見ていた。さらに急登を上がって、16時半に布引山(*2)山頂(2583.7m)。登山口から8時間少しの行程だった。

皆で山頂標識を掲げて記念撮影し、山頂奥に行くと手頃な平坦地がある。しかしここには先客のテントが3張りほどあり(バスを降りて以来、初めて人に会った)、あまり余裕がない。
あらかじめ地形図で見当を付けておいた、山頂から少しだけ北に進んだところにある西側への出っ張り(S木氏曰く「盲腸」)まで進む。地形図に寄れば左手が登山道からいったん下がってまた盛り上がっているはずなのだが、どうもそれらしき箇所がない。ある程度行ったところでT口氏が偵察に出るがやはり見つからず、そうこうしているうちに日没である。諦めて戻ることになったが、山頂のすぐ近く、少しだけ窪んで樹が茂っているのが「盲腸」なのだろう。いずれにせよテントを張れる場所ではなかった。
山頂奥にも空きはあるのだが、地面に顔を出している石がひとつ。すると、先にテントを張っていたパーティが、掘り起こすならツルハシを貸すよ、と声をかけてくれる。試しにその人がガツンガツンとやってみるとちょっと石が浮いた(ように見えた)。よしこれなら、とT口氏が引き継いでツルハシを振るうと、刃が引っ掛かって梃子になったのか、柄がメリッ... 貸してくれた人は「短くすれば使える。気にしなくていいよ」と言ってくれたが、申し訳なし。結局その石は根が深くて動かせず、周囲に適当な木の皮などをあてがい誤魔化した。
薄暗くなる中、S木氏のメスナーテントを設営。初めて使わせてもらうが、なるほどポールをテント本体の上に置いて張り綱を引っ掛けていくだけなのは簡単だ。テントに入って酒と食事、20時半に就寝。夜中に風の音が聞こえていたが、山頂は静かだった。

■11/4(日)
[本日のルート]
布引山 → 笊ヶ岳 → 生木割(なまきわり)山 → 天上小屋山 → 転付(でんつく)峠 → 二軒小屋(登山小屋泊)

4時起床、5:45 出発。しかし、すぐに富士山の絶景ポイントがあって、足が止まってしまう。眼下の雲海、明けゆく空に浮かび上がる富士山、その背後にたなびく雲、富士の右手から日の出の気配、やがてたなびく雲が金色に染まり、オレンジ色の太陽が顔を出す。実に美しい。立ち止まっている間に、テン場にいた小型犬連れの単独登山者が通り過ぎていった。

笊ヶ岳へはいったん2420mあたりまで下ってから登りになる。見た目は布引山の方が立派な感じだ。
7:15、笊ヶ岳(2629.0m)登頂。先ほどの人が犬を山頂標識(山梨県の建てた木製の立派なもの。通称「墓石」)に乗せて写真を撮っていた。「山梨百名山のこれが百山目なんですよ」と記念の幟(のぼり)を用意している。犬は5歳9ヶ月だそうだ。地元の新聞に載るらしい。幟の隅を持って撮影を手伝うと、こちらの写真も撮ってくれた。
山頂からの眺望がまた素晴らしい。赤石岳を真ん中にして、左は聖から上河内(かみこうち)、その奥の光方面。右は荒川三山から塩見、農鳥、北岳、仙丈。さらに目を転じると金峰など秩父方面。先に山頂にいた人に教えてもらいながら、しばし山座同定となる。荒川、赤石には薄く雪が付いている。後ろを向けば小笊の向こうの富士山である。天候に恵まれて本当によかった。
小笊越しの富士山
やがてツルハシのパーティも到着。「墓石」の傍らに古い標識の根本だけ残っていたのだが、そこに新しい標柱を建てるべく運んできたのだった。挨拶して山頂を離れる。

笊ヶ岳からは急坂を下りる。途中の日陰では霜柱が大きく成長していた。椹島(さわらじま)への分岐のある2420m付近が最低で、その後はしばらくゆるゆる。次に登りにかかるのは偃松尾(はいまつお)山であるが、ピークは通らずにガレ場の縁に下りる。風の強いガレ場を避けて休憩し、生木割山(2539.3m)を10時に通過。
樹林の中の尾根歩きで天上小屋山に10:50。ここの標識には2350mとあるが、地形図を読むと2420m程度(GPSデータも同様)である。山頂を過ぎたところに赤石~荒川方面のビューポイントあり。椹島から赤石に上がる東尾根が左手に張り出している。荒川岳(前岳)には雪の上に登山道の筋が見える。5年前に一日で赤石へ標高差2000mを登ったのはキツかったけど、やっぱり南アはでっかいなぁ。今度は塩見から光まで繋げたい。

間もなく道は尾根から離れ、平坦なトラバースになる。ハイキング気分の快適な歩きで、トラバースが終わると林道に出る。・・・のだが、どこから林道なのか分からなかった。エアリアでは車道の記号になっているが、幅が広がっても荒れていてそれと気づかなかったのである。どうやら一度整備したものの道路としては放棄したらしい。いつのまにか保利沢山を過ぎ、間違いようのない林道に出るとトイレ付きのテン場があった。転付峠はそこからすぐ。
二軒小屋までの下りは黄色く染まったカラマツが美しいが、結構大きな倒木が何ヶ所もある。台風の跡だろうか。そのために登山道も多少付け替えられている様子だ。

14時、二軒小屋に到着。布引山からコースタイム9時間のところを休憩しながら8時間で来た。布引山までとコースタイムの基準が違うのじゃないか? この山行で他のパーティに会ったのは布引~笊の山頂だけ。静かな山だった。
東海フォレストの小屋はどこもきれいで、二軒小屋も快適そう。観光と覚しき一行も見える。しかし、我々の泊まるのは登山小屋の方だ。そちらは我々だけとのこと。
自分は二軒小屋は初めてなので、荷物を下ろして周囲を散策。小屋下の駐車スペースには、蜂の巣を餌に熊が入ると扉が下りる罠が仕掛けてあった。受付にも小熊の剥製が置いてあるし、熊の気配の濃い山域だ。車道突き当たりはどうどうと放水しているダム。ここが「越すに越されぬ」大井川の起点か。
自販機でビールを買って小屋に戻る。人がいないのを幸いに畳の上にテントを干し、早くも飲みながら食事の準備。まだ15時だよ。しかし、谷間のこと故(ゆえ)日暮れも早く、飲み食いして19時就寝。広いし(おかげで少し寒くもあるが)、電灯は点くし、トイレは小屋を出た向かいだしで、極楽である。

●11/5(月)
[本日のルート]二軒小屋 → 椹島 →(バス)→ 畑薙第一ダム駐車場

4時半起床。S木氏が編集している雑誌に使う写真を撮ったりして6:15に出発。椹島までの車道歩きはコースタイムで3h45m、10時のバスに乗ればいいのでのんびりと紅葉を眺めながら歩く。一昨日、山に入る前に見たより明らかに色づいている。一方、足元を見ると、土砂崩れで道路を付け替えた箇所がよく分かる。今にも岩が転げ落ちてきそうな崖もあり、バスで通るには結構怖い道だ。
9:10に椹島ロッジ到着。T口氏とY永氏はトーストセット、S木氏と自分はビールで一服した後、補助席まで埋まる満員のバスで畑薙第一ダムへ。T口氏の車に乗り換え、畑薙第二ダムの先の白樺荘に立ち寄って入浴と食事。あとは延々T口氏の運転で西船橋駅へ。首都高の流れが悪く思ったより遅くなった。山にいる間はずっと晴れていて、首都圏に入ってから時々小雨。今回はまったくもって天候大当たりである。
S木氏、Y永氏と3人で西船橋路地の串焼き屋で軽く一杯やって解散。

■今回のルート(山行時のGPS軌跡を2020年5月時点の地形図に表示)
11/3 ルート

11/4 ルート

11/5 ルート

*1:Y永氏の名誉のために言っておくと、氏はこの夏、北岳バットレスを登っている。
*2:地域によっては「千挺木山(せんちょうぎやま)」 とも呼ぶ。国土地理院の<静岡県の山>では布引山の備考として千挺木山を示している。

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