2006/9/18(月) 風神雷神図屏風 ― 2006年09月18日 00:00
ちょっと見てみたいけどどうしようかと思っていた出光美術館の展示(9/9~10/1)だが、H頭・A氏のミクシィ日記を読んで行ってみた。
開場直後に入ったが、宗達の前は人だかりで離れて全体を視野に収めることができない程度の混み具合。
江戸前期、俵屋宗達によって描かれた風神雷神図は国宝指定。風神の部分は以前の90円切手の図案になっていたので馴染み深い(確認してみたら次の図案に切り替わったのが'73だった。歳がばれる)。
約80年後、宗達の作を見出した尾形光琳は先人を慕ってほぼ同寸で模作。さらに幕末に至って、江戸で琳派を再興した酒井抱一が光琳画を模作。抱一は宗達のオリジナルの存在を知らなかった。
出光美術館/風神雷神図屏風(抱一) ⇒ https://idemitsu-museum.or.jp/collection/painting/rimpa/04.php
入るとまず宗達の屏風。さすがに剥げたり色落ちした部分もあるが、たいへん力強い。四股を踏むかの如くに足を上げ撥(ばち)を振るう雷神、雲を駆って風と共に翔る風神。両者とも盛り上がる筋肉の描写は人間を思わせるが、鹿のような角と大きく尖った耳は鬼か半神半獣のもののようだ。
光琳、抱一を見てから、三者の全体及び部分毎の比較解説となる。
光琳は精確に宗達を写し取っているが、どことはなし「きれいになった」という印象。保存状態の問題ではなく、色遣いや描線が柔和になり、顔に人間的な表情が見える。さらに抱一になると、コピーを重ねてぼやけた原稿のように全体が崩れてくる。奇妙なところでは抱一の二神には指が4本しかない。雷神の足の爪が伸びている点が「崩れの始まった神々の形態にあらためて命を吹き込むための、あがきにも似た作為であったのだろうか」と解説されているが、指の数も人間との差異を示すのかも。H頭氏も書いている「漫画チック」な雷神の口には赤塚不二男のダヨ~ンのおじさんを思い出してしまったことだよ~ん。
こう書くと、時代が下るにつれて駄目になっていったように聞こえるが、無論、抱一の技量が劣っているわけではない。細部の崩れは模作という枷の結果だろう。展示されている「夏秋草図屏風草稿」の前に立つと秋の風が吹いてくるようだ。「紅白梅図屏風」も美しい。
順路の最後は併設の仙厓展3点。素朴な漫画のような「指月布袋画賛」に口許がほころぶ。仙厓は臨済宗妙心寺派の禅僧だが、これが禅の境地というものか。
展覧会を出て、美術館の入口近くにはムンクの裸婦像が3点、これもよかった。
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