2018/10/12(金)~10/16(火) 石鎚山~東赤石山 ― 2018年10月12日 00:00
仕事の切れ間に休暇が取れたので、以前から登ってみたかった石鎚山を起点に長い縦走を計画した。
■10/12(金)
本日は移動のみ。新幹線で岡山、特急しおかぜで伊予西条へ。瀬戸内海をこの目で見るのは初めて、四国の地も人生で初上陸。
駅前のオレール西条にチェックインし、夕食に出た。マップで近所に見つけた石鎚神社に行ってみると、鳥居脇に「石土彦之命」の碑が建ち、社殿のガラスには「石鎚教本部」とある。
普通に石鎚神社と言えば「石鎚本教」のこちら(⇒ http://ishizuchisan.jp/)で、石鎚教にもいろいろ宗派があるようだ。まだ18時だというのにほぼ閉まっているアーケード内の酒屋に入り、「石鎚」と水どころ西条の地酒を自宅と親類宛に発送。
さて、旅先ではなるべくその地の酒を飲みたい。看板に「石鎚」と出ている、地元客しかいなさそうな店に入ってみた。しかし、これはハズレで、看板に反して地酒は置いておらず、大手メーカーのありきたりの酒と最低限のツマミだけで退散。他に適当な店も見当たらず、もう閉まっている鉄道歴史パーク経由でホテルに戻った。
自宅の母親からメール着信、叔母が亡くなったとのこと。病気がちではあったが突然のことに驚く。
■10/13(土)
朝一のバス(7:47)で西条駅前から石鎚ロープウェイ前へ。石鎚山は飛鳥時代(685年)に役の行者(役小角・えんのおづぬ)によって開山されたと伝え、ここにも行者像がある。
石鎚登山ロープウェイ(大人片道\1030)で山頂成就駅に9時。上天気。20分ほど歩くと中宮成就社(標高1300m)。ここには旅館や商店もあるが、まだ開いていない。遥拝殿で石鎚山そのものに登山の無事を祈り、9時半、神門をくぐって登山開始。
最初は八丁坂の緩やかな下り。登山道の分岐する鞍部から素直に表参道成就コースに進むと等高線が密な登りで、まず階段が出てくる。ひとしきり登ると試し鎖。試しだからと軽く取りつくと思ったより長い(この試しが登れれば本番の三本も大丈夫という意味らしい)。登り切った前社森(ぜんじゃがもり、1592m)は当地の言葉で「山」の意味の「森」だろう。岩場の上に小さな祠とお地蔵様があり、瓶ヶ森や間近な石鎚本峰の眺望を楽しむ。またクサリを使って下りた一軒茶屋の前で休憩。
傾斜が緩み、のんびり行くと夜明(よあかし)峠で、ここからの本峰が美しい。
1700mを超え、等高線が再び密になると一ノ鎖。27mと短いが、登山者が溜まってきて先行者の尻を見上げることになる。クサリは何本も下がっているが、大きく左右に分かれているようだ。昭文社の山と高原地図の付録冊子によれば「石鎚山の鎖はどこも2本あって、左側が登り、右側が下り」とのことだが、二ノ鎖、三ノ鎖を含め下る人は見なかった。時間帯もあるかもしれないが、下山は迂回路を取る方が楽だし早そうだ。
二ノ鎖元小屋(昭文社地図では「公衆トイレ休憩所」と風情がない)の鳥居から渋滞しており、二ノ鎖(65m)は蟻の行列状態。天狗岳の岸壁を見上げて進むとすぐに三ノ鎖(67m)で、狭いクサリ場を順番を待って登る。
クサリを登りきるとすぐに石鎚神社頂上社のある弥山(1972m)。ちょうど12時で混雑している。売店で登頂記念バッジを買い、すき間を見つけて休憩。
神社としてはここが奥宮頂上社だが、石鎚山の最高点はここから細い尾根を伝った天狗岳~南尖鋒(なんせんぽう)で、そこまで行かないと登頂とは言えない。南尖鋒からは直進して土小屋方面への登山道に合流できるはずなので、ザックを背負って歩き出す。弥山山頂からクサリの付いた降下で、天狗岳に向かう岩尾根に乗る。左側は三ノ鎖の手前から見上げた絶壁だ。これから歩いていく瓶ヶ森など眺めながら進み、12:40 天狗岳(1982m)登頂。居合わせた人と交替でシャッターを押し合った。
天狗岳から南尖鋒(同じく1982m)へと進み、そのまま昭文社地図の破線ルートを直進するつもりだったのだが、南尖鋒から下りる道が見つからない。踏み跡かと思われる箇所もあるが、間違っていたら一人では登り返せないかもしれない急斜面だ。はっきりした道の先端と南尖鋒の間を行きつ戻りつした挙句、諦めて弥山経由で下ることにした。弥山の手前でのすれ違い待ちもあり、神社に戻ったのは13:40。
(後でネット検索すると、南尖峰から先の東稜ルートを下りに使った記録は少なく、例えばhttps://yamap.com/activities/2390721など、かなり難しい様子。やはり踏み跡と見えたものがルートだったのだろうが、単独では行かなくて正解だったか)
弥山から三ノ鎖、二ノ鎖の迂回路を取り、14時、土小屋への分岐からトラバースする道に入る。東稜ルートへは第3ベンチから分岐するのだが、特に気にせず通過してしまった。15時、石鎚スカイラインに出て土小屋遥拝殿(1500m)からあらためて山を拝む。自販機で缶コーヒーを買って休憩。
普通なら行動終了の時間だが、今日はシラサ峠までもう一行程ある。<岩黒山/瓶ヶ森行き縦走路>の道標に従って踏み込むとすぐに岩黒山への分岐があって<瓶ヶ森 8.4km>。左手の道路より少し高いところを行く道は笹っぽかったりささやかな水流を跨いだりする。昭文社地図の水マークは何処かに水を引いている(いた?)パイプの辺りの流れだろうか。水場はシラサ峠にあるのでそのまま通過。道標も荒れていて、利用者の少ない道のようだ。
名野川越で道路に下り、向かい側の赤テープと踏み跡に従って笹の斜面を下ると傾斜は強まり藪は深まりルートとは思えない。道路に戻ると、今度は道路の左に並行する道があった。その道がまた道路に下りて、16時半によさこい峠。林道が合流しており茶屋があるが、改装中らしくひっそりとしていた。茶屋の裏から伊吹山へ向かう登山道は笹を刈り払ってあり、17時に伊吹山(1503.1m)。根本部分がむき出しの三角点標石の傍らにベンチ、ススキの混じる笹原、夕方の風。散策向きの緩やかなコースで実際に反対側から上がってくる人もいたが、今はさすがに疲れてきた。
伊吹山から舗装路に下り(と言うより、瓶ヶ森林道のカーブを伊吹山を踏んでショートカットした)、もう一度樹林を通って17:20 シラサ峠に到着。山荘しらさの閉館は織り込み済みだが、今日の寝場所のシラサ小屋と水場は何処だ? 山荘の外の水道が利用できないことを確認してから進むと、道路脇の公衆トイレ標識から樹林に入る道があった。しかし、行ってみるとほぼ廃墟のトイレに続いて炊事場跡があるばかり、元キャンプ場のようだが泊まれる態ではない。さらに進むと沢があって、小規模の水道設備と思える貯水場になっている。と、樹木の間に小屋の屋根が見えた。藪をかき分けて行くと小さな橋があって避難小屋の裏側に出た。
小屋横にテントが一張、中にも2名が先に入っていたが、水は持参したとのこと。こちらの手持ちは底をついているので荷物を置いて小屋を出ると、当然ながらきちんとした道があって山荘に至る。山荘前を道なりに行かず、横に入るのだった。スマホのオンライン登山地図では「シラサ峠(水場)」マークは峠の手前に付いているが、その辺をウロウロしても水のあるような地形ではない。結局、先ほどのトイレ標識から入り沢に下りて水を汲む。テープが付いているのを見るとそれで正解なのだろうが、沢への下り口などかなり怪しい。小屋に戻ったのは18:20。
就寝前に外に出てみると夏の大三角が頭上にかかり、うっすらと銀河も見えた。夜中には風の音がしていた。
■10/14(日)
薄雲と朝焼け、薄いガス、気温5℃。5:40 出発。
道標に従って山荘前の草原に入り、道路と平行に県境尾根を登っていく。笹に乗った夜露を避けるためにスパッツを着けたがまるで追い付かず、ズボンの腿まで濡れてそれが靴に侵入。靴下を絞ったりスパッツを着脱したりで時間ロスした。登山道は子持権現山(1677m)の東を巻き、巻き終えたところに「石土山子持権現分神」の祠と山頂に向かう踏み跡があるが、ずいぶんな急登のうえ今日は先が長いので山頂は割愛。
そこからも道はしっかりしているもののとにかく笹が濃く、いったん道路に出ると少しホッとする。駐車場から道路を離れて遊歩道に入り、男山を経て 8時、瓶ヶ森(女山)(1896.5m)登頂。ここには「石土山大権現女人道」の祠。写真は山頂手前からのパノラマ。
20分ほど休憩して、また笹原に歩き出す。急坂を20分下った鞍部が四国三郎・吉野川の源流だ(https://www.awanavi.jp/site/midokoro/yoshinogawa.html)。登りにかかって30分ほどで西黒森山頂への分岐があり、山頂(1861m)を往復。この分岐を過ぎると笹攻撃はほぼ止んだ。神鳴池(かんならし)は何ということもなく通過し、小さなコブをいくつか越えると自念子(じねんご)ノ頭。大岩の上でしばし日向ぼっこしつつ、濡れた靴下を乾かした(10:30~11:00)。
また笹原に歩き出すと、行く手の眺望がよい。いったん林道に下りると、やはり眺望が魅力なのか何台か駐車している。一台は年配の男性のクラシックなスポーツカー(ケーターハム?)だった。11:40 登山者で賑わう東黒森(1735m)を通過し、12:20に伊予富士(1756.2m)。
東黒森から伊予富士
伊予富士から振り返る
伊予富士から急坂を下りると快適な縦走路だが、惰性で足を運んで桑瀬峠で休憩(13:30)。居合わせたパーティとの会話で石鎚から赤石までの計画と言うと「夢の縦走ですね」と感心された。夢はいいが、今日は笹ヶ峰を越えるまで昭文社地図のコースタイムで4時間以上ある。悪夢にならないようにしないと。
寒風山の登りにかかると登山道の様相が変わって岩がちになり、ハシゴも出てくる。雲が増えてきた。14:40 寒風山(1763m)。ここも大勢で賑やかだったが1パーティかもしれない。この後はほとんど人に会わなかった。
寒風山を下りてまた低い笹原に戻った道を、いい加減草臥(くたび)れて黙々と歩く。山頂下の分岐にザックを置き、16:20 笹ヶ峰(1859.6m)登頂。空は雲に覆われ、眼下の稜線から湧いたガスに片側は沈んでいる。肌寒く、誰もいなくて寂しい。
写真を撮って早々に下りる。ザックを背負い直して急坂を下り、17:05 丸山荘に到着。
ビールを買えるかと思っていたのだが、小屋は閉まっていた。避難室は南京錠を懸けただけで施錠しておらず利用可能だが、一人では寒そうなので無人のテント場の一角にテント設営。流しの蛇口は元を閉めてあるらしかったが、沢から水を引くパイプを小屋の裏に見つけた。離れのトイレは使えるし、携帯電話のアンテナが建っていてスマホも通じる。時折鹿の鳴く静かな夜だった。
■10/15(月)
6:10 薄曇りの空の下を出発。山頂は昨日制覇したので稜線の一部は割愛して、東側のルートで稜線に戻る。岩っぽい箇所もある登りを終えて稜線に出ると、また刈り払いされた笹道。昨日の教訓から雨具のズボンとスパッツを着けたのだが、今日は笹も乾いていて暑いだけだった。その形からみて「乳山」であろう「ちち山」は山頂下をトラバースするルートもあるが、分岐の「ちち山道」指導標に従って 7:20に山頂(1855m)を踏む。ここで雨具もスパッツも外した。
ちち山分れの道標から「銅山越」の方向に進み、笹の尾根を下りていく。木立が出てきて、鞍部からひと登りするとシシ舞ノ鼻(1481.7m、9時)。水準点標石を過ぎた岩陰に賽銭箱が置かれ玩具や獅子像が供えてあるのは、「乳山」から連想される子授けや地名の獅子舞に関係しているのか。この辺から雲が取れて日が射してきた。
急坂を下りて木立の間を行くと、昭文社地図に「船窪」とある鞍部。「馬道の別れ」の標識は、過去にここから下りていく道があったということだろうか。登山道というより歴史を味わう散策路という雰囲気で、土山越、七番越と進む。ここは地形図には大坂屋敷越とあり、昭文社地図より分岐ルートが多い。植物相も変わり、木立が日陰を作るためか笹は鳴りを潜めた。
登りに転ずるとふたたび登山道らしくなり、江山越、金鍋越から木の根を掴む急登があって綱繰山(昭文社地図ではツナクリ山)手前のピーク、そこからわずかの綱繰山(1466m)で休憩(11時)。これから進む方角に見える西赤石山~東赤石山の稜線が思ったより遠い。
オオタワ(大峠)から西山(1428.7m)経由で銅山越が近くなった頃、すれ違ったトレラン風の二人が本日初めての人間だ。銅板らしき銘板の立つ銅山越に11:50到着。ここで無縁仏を供養する「峰地蔵」の古いものは延享二年(1744)に造られたそうで、歴史を感じさせる。お地蔵様の前で休憩中に曇って肌寒くなったが、一時のことでやがてまた明るくなった。
峰地蔵の横から入って緩やかに登っていき、西赤石山へと北上する尾根に合流する。ここで行きあった単独男性が本日行動中に見た最後の人間。平日ということもあるが、静かな山だ。今朝まで四国の山の印象は「笹が深い」だったが、この辺は関東の低山と変わらない。1482m小ピークを踏み、少し日が陰って薄くガスも掛かったりする中、銅板の「西赤石山 1626m」を過ぎてなお登ると、兜岩への分岐を過ぎた岩場に丸裸の三角点標石と、また山頂標があった。13:20、西赤石山(1625.8m)到着。昭文社地図には「展望良い」とあるが、残念ながらガスで周囲の山は見えなかった。
小休止して歩き出すと白いものがフワフワ。手に乗せてみると雪虫だ。正式な名称はトドノネオオワタムシ、雪が降る前に産卵のため移動する習性があることから雪虫、北海道や東北では綿虫やユキンコと呼ばれるとのこと。初めて見るわけではないが珍しい。北の方のものと思ったが、四国にもいるのか。第一、雪にはまだ早かろう。
物住頭(1634.6m)で小休止(14:10)し、赤錆びた道標(新しいのもあるのだが文字が剥げていて判読困難。後で昭文社地図の冊子と照らし合わせて雲原越の五郎津河又への分岐と判明)を過ぎると前赤石山の下の岩場のトラバースになる。昭文社地図には<迷>マークがあるが<危>の方が相応しい感じ。岩の表面に、コケなのだろうか、花のような模様がいくつも浮かび上がっている。眼下は緑に紅葉の赤黄が散りばめられて美しい。
岩場を終えると石室越で八巻山への分岐だが、もう15時近いので赤石山荘への巻道に入る。斜面の上に顔を出している岩壁に続くピークが八巻山だろうか。
赤石山荘に15:05到着。無人で、細紐で閉じた入口ドアに「北西五十M地点に幕営指定地あり」と出ている。最初これを「450m」と読み違えて混乱したが、周囲を探したところ地面に落ちて腐食しかかった案内板を発見した。樹林の間の5張分程度のスペースは木の根が這っていてあまり住みよいとは言えないが、自分だけなので好きに設営。水は山荘裏のパイプから流れ出ている。テン場を探している間に東赤石山か八巻山から下りてくるらしい人声(2名?)を聞いたが姿は見なかった。こちらがテントを張っている間に山荘に入った模様。また静かな夜だった。
■10/16(火)
登山口のバス時刻を考えて3:50に出発。朝の空は星と雲が半々、5℃、無風。トラバース道を15分ほど、東赤石山への分岐まで歩くと暑くなる。分岐から一息に登って八巻山からの岩稜コースに合流し、東赤石山(1706.2m)に4:50登頂。暗くて何も見えないが小休止。
トラバース道の分岐に戻り、わずかに進んで筏津への下山路に入る。昭文社地図には2か所の「渡渉」があるが問題なく通過し、赤石山荘への道との分岐「木橋」に7:15。ここまでの丸太の桟道もかなり朽ちていたが、前方に見える橋はなんだか傾いでいないか? 行ってみると、「こんなの渡れねーよ!」 橋の下を岩伝いに渡れたが、増水していたら困ったかもしれない。
その後も道は荒れていて橋や桟道の残骸が目についた。8時に筏津に下山。見ると「東赤石山 通行止め 一本橋が通行できません」の掲示があった。
ここにはトイレと水場を備えた休憩舎もある。
新居浜市街地へ出る地域バスは8:40頃のはず。ちょうどよい時間に下山できたが、バス停は何処だ? 昭文社地図では登山口の少し東にマークがあるのでそちらに行ってみたりしたが、実は休憩舎の裏にあった。バス停で時刻を確認して休憩舎で装備を解き、時間前にバス停に立つ・・・が、10分過ぎても来ない。バス停に記載の連絡先に電話してみると「ごめんなさい、予約もなかったのでもう通過してしまいました。引き返すこともできません」。致し方ない、タクシーを呼んでマイントピア別司へ。バスなら400円で済んだところを6000円以上かかったが、まあ、旅の途ではこんなこともある。入浴して、バス待ちにコカ・コーラおへんろバージョン。
今度こそバスに乗って市街地に入り、宅急便センターに留置きしておいた街用の靴や服を詰めたザックを受け取る。道路向かいのファミレスで食事してトイレで着替え、登山靴やザックを荷造りして宅急便で発送。これで身軽になった。ただ、ガス缶は送れないので、持ち歩くことになる。
新居浜駅まで歩き、予讃線で三津浜へ移動。途中で今回の旅の起点、伊予西条を通過する。よく歩いたなぁ。
■今回のルート
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