2020/8/14(金) 城峯神社(城峯山) ― 2020年08月14日 00:00
本日は休暇にして、とりあえず3連休。涼しい高山に行きたいところだが、COVID-19感染が現実的な脅威である埼玉都民が遠出して万一ウィルスを広めては申し訳ない。近場で、奥秩父のまだ繋いでいないルートを歩くことも考えたのだが、あまりの暑さにこれも断念。結局、秩父繋がりで、以前から気になっていた(http://marukoba.asablo.jp/blog/2017/08/13/9244899)城峯(じょうみね)山の城峯神社を訪ねようとバイクを走らせた。
大野峠から秩父市街に下りようと、まず白石峠へ。峠入口に「大野峠方面通行止」の表示が見えたが、二輪なら通れるかもとそのまま上がる。しかし、上がりきってみるとT字の左右とも完全に塞がれて大野峠にも定峰峠にも行けない。通行止め理由の「路面凍結」っていつの話だ。仕方なく来た道を戻って直接定峰峠へ向かうと、こちらは入口よりだいぶ手前で「昨年の台風19号により各所崖崩れ、村民・関係者以外通行ご遠慮ください」。結局、寄居へ回って有料道路に入ったが、料金所を抜けるまでずっとノロノロ運転で参った。
狭くて荒れた林道を上がって城峯山キャンプ場に停車したのは12時半近く。大回りのおかげで家を出てから3.5H以上掛かった。
駐車場から杉並木の参道が始まり、参道右側がキャンプ場になっている。
城峯神社は神楽殿もある立派な作り。千年祭記念塔や新旧の奉納碑が並び(大鳥居一金貳千萬圓は平成十六年だ)、古くから現在まで尊崇を受けていることが判る。
目当ての、目がピカピカしているオオカミ像は大正六年のもの。オオカミ信仰は日本武尊の東征伝説を伴うことが多いが、城峯神社には記録をとどめていないと由緒書きにはある。「春の大祭に御眷属神札の貸し出しが盛ん。このお犬信仰は当城峯神社から発生し郡市内御眷属信仰のある神社に拡がったとも謂われる」とも。
社殿に向かって左に置かれた小ぶりの像もオオカミだろう。(*1) 台座には「天保○申」と刻まれている。年の部分は読めないが、干支からすると天保7(1836)年だ。
その傍らの碑に描かれているのもまたオオカミ。「徳廣大護郷閭」はどんな意味なのだろう。こちらは側面に「文久三年亥正月」とある。幕末1863年だ。
日本武尊の代わりでもないだろうが、ここには平将門の史実と伝説が語られている。神社から山に入ったところにある「将門の隠れ岩」にはクサリが付いていたので取り付いてみたが、クサリの先が上りはともかく下りで転落必至と思えたので引き下がり、別のルート・踏み跡を辿って奥の院を拝み、城峯山頂を踏んだ。
奥の院は猿田彦大神、中宮は日本武尊を祀る。本殿の方に建つ由緒書きにはヤマトタケル伝説はないとあるが、神社の起源と祭神は別ということか。建屋に収まった中宮の祠の左は仏像、右は神像か修験か? 神仏混淆の名残だろうか。
山頂には一等三角点と電波塔を兼ねた展望台がある。上がってみるとハイキングの男性がいて、しばらく山の話をした。
城峯山から下りたところに、農民ロケット「龍勢」で知られる椋神社が鎮座する。ここのオオカミ狛犬には明治三十八年の銘があった。お犬様を描いたお札(¥500)を頂く。
龍勢会館に立ち寄りウィスキー(Ichiro's Malt & Grain)とおなめを買って帰宅。170kmも走るとそれなりに草臥れた。
(追記)
「将門の隠れ岩」をググってみると、最初のクサリを登った後、右側にクサリが続いていたらしい。クサリが一本だけとはいかにも中途半端だとは思ったのだが、続くクサリには気づかなかった。
*1:オオカミと思ったのだが、その後に読んだネット記事によるとネコだそうである。養蚕の盛んだったころ、ネズミを退治してくれるネコを祀ったと。
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